私たちが新しい合同誌「モノラルノート」を立ち上げたのは、おおよそ2ヶ月前のことです。これは、2024年のサークル名変更や2025年の個人誌立ち上げに続く、次の10年のための取り組みだと考えています。私たちはまだ前に進めます!
しかし、2024年頃から現在にかけて私たちを取り巻く状況は大きく変わりました。そして、まだまだ大きく変わりつつあります。AIエージェントという誰にも取り扱えない道具の登場や、「AIを活用しないとマジで死にます!」と嘘・大げさ・まぎらわしい情報を削除どころか訂正もしない青バッジアカウント、あるいは「AIを活用したヤツはマジで殺します!」と捨てアカウントでヘイトを撒き散らす人間至上主義者……これらに対する検討なくして、今後の知的活動を考えることはできません。
4年前のAIはもっと可愛らしいものでした。当時の「えーあい」は、知的なコーディングなどを任せる水準には程遠く、文章を書かせれば制御が効かず支離滅裂なストーリーを生み出し、画像だって奇妙な破綻で覆われた独特の不気味さが付いて回ったものです。あの頃のAIは、決して私たちの知的活動には踏み込みえない、高度なサイコロに似たおもちゃとして扱われていました。
2022年に発行した「東雲銀座広報 ゆり時計」の特製パンフレットや「あまねけ!ニュースレター」のカバー画像、2023年に発行した「バーチャルキャンディ」の掲載記事「こどくなネオンを追う」には、当時ならごく普通の性能だったAIで生成した画像が含まれています。それっぽい英単語を並べて、品質を上げる定型句をコピペで貼り付けて生成を繰り返すのは、まさに祈りに近い詠唱でした。
さらに遡れば、「りりよる」シリーズを立ち上げた2019年と比べても状況はさらに大きく異なります。AIが世界を低品質な投稿で埋め尽くしたり、現実と区別できない実写映像さえ生み出せるようになるとは想像もできませんでした。
そのため、合同誌「モノラルノート」のレギュレーションでは、前世代の「りりよる」シリーズを参考にしつつAIとどう付き合うべきかを強調しました。以下ではこの記載について、現時点の立ち位置や思考を踏まえて整理しておきます。
さて、モノラルノートでは、生成AIを利用した以下のような作品は掲載しないと線引きしました。
・生成AIを用いたことを読者に明示的に提示あるいは暗黙的に示唆しないと成立しえない作品
・生成AI自身の性能やワークフローの工夫を示す出力例が主になっている作品
・生成AI製であることを明示して出力の不自然さや拙さに整合性を取ろうとする作品
私たちはこれらの傾向を満たす作品を「AIが主体となって成立する作品」と定義して排除します。この定義が重視しているのは、作者が自分の言葉として発表できるかどうか、という点です。つまり、これらのルールはAIの出力を用いた よくある 陥穽を指摘しつつ、生成AIとは直接関係のない活動にも一定の制限をかけています。
そのため、私たちは「AIが主体となって成立する作品」について、特定のチェックリストや満たすべき数値的目標を提供しません。つまり、生成AIによる出力割合の制限や、ポン出しの禁止のような「分かりやすいAI排除条項」は設けません。これらの基準は、作品の主体がAIになるかの判断と本質的には関係ないからです。
また、私たちは今後「AIを使ったかどうかを示すことが全く無意味になる時代」が来ることも想定しています。例えば、ある作品がノートパソコンでMicrosoft Wordを使って書いたとか、スマホのメモ帳で書いたとか、あるいは原稿用紙にペンで書いたというような情報はほとんど無意味で、執筆環境を知らなければ成り立たない作品はまずありません。むしろその情報を示すことは、作家本人に帰属するこだわりや作風、品質を期待されるシグナルになるでしょう。
AI生成の作品でも同じように、今後そう遠くない時代で「これはAIで書いたものです」とわざわざ主張すること自体にある種の「目的」を読み取られるようになる可能性が高いと考えています。現時点でも、AIと人間の「対話」や「協業」だとか、「新たな芸術への挑戦」という物語を付与して、むしろAI生成だと積極的に明示する作品が数多く発表されているのも、その根拠になるでしょう。
しかし、これらが新たな創造性を生み出す革新的な活動だとしても、少なくともモノラルノートが進む方向とは異なります。そのため、モノラルノートではAI生成であるという(現時点では「注意書き」というべきような)記載を原則として行いません。ここから逆に「これはAIで書いたものです」という記載が必要になるような作品は「AIが主体となって成立する作品」である、と言い換えることもできます。前述のようにAI生成の積極的な明示によって 完成 する作品は、モノラルノートに掲載されません。
また、 人間らしく 執筆させるスキルを与えてナチュラルな文体で出力するのも、それ自体には創造性がなくほぼ無意味な作業です。AIに特有のミクロな兆候を削るのは最後のやすりがけのようなもので、作品全体の印象や面白さには寄与しません。実際はそれよりずっと手前にある、構成や分量の配分や圧力のかけ方で個性はほとんど決まっています。逆に、その個性を言語化して事細かに指示できるのなら、生成AIの出力だとしても作者自身の言葉と呼べるでしょう。
実際のところ、これらのルールは「りりよる」シリーズの頃から信じている合同誌の形を、AIという概念を使って「モノラルノート」として新たに削り出したにすぎません。AIを使ったかどうかは本質ではなく、私たちは作者の言葉をどうまとめるべきかを常に考え続けています。AIは私たちが思い描く世界や費やした時間に新たな方向から光を当てただけであって、私たち自身は変わらず前に進むしかないのです。
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