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百合に男が挟まること、の再考

私が百合よ、さようならという記事を書いてから3年以上が経ちましたが、まだ、たまに百合について考えることがあります。

百合とはなんだったでしょうか? 私たちはなぜ連帯してきたのでしょうか?

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百合とは 複数女性 同士の 特別 な関係である、としばしば定義されてきました。改めて箇条書きにすると、以下の全てを満たすものが「百合」です。

  • 複数の人格的主体が関係の構築を担っていること
  • 関係を構築する人格的主体が人間のシス女性に類推できる性別であること
  • 恋愛あるいは特別な関係を構築していること

このような文脈において、しばしば「百合とレズは異なる」という言葉遊びに近い言説も多くみられます(参考)。当然、これらは百合のあいまいさを流出させないように不誠実な壁を作るための恣意的な定義(あるいは方言に近いもの)です。

かれらのいう「百合」の定義は、十分に女性らしさを備えていればパスできるという点で非常にあいまいで、恣意的で、不誠実です。学生の学校での恋愛であれ、社会人の職場での恋愛であれ、主婦の団地での不倫であれ、男性器が生えていてもなお、女性らしさのあるキャラクター同士なら「百合」の名の下に連帯できますし、そうあるべきと信じています。

唯一かれらが連帯できるのは、人間のシス男性に類推できるキャラクターが登場した場合だけです。ルールは非常に簡単で、男性キャラクターが登場するにもかかわらず百合を名乗っている作品に、「百合に男を挟むなんて!」と叫べばエントリーが完了します。

百合に男を挟むなというのは、先述の定義を完全に信用していれば容易に導き出せる論理です。「百合とは女だけが出てくる作品」ならば「男が出てくる作品は百合ではない」ので、天地がひっくり返っても負けることはありません。

しかし、あいまいで、恣意的で、不誠実なその定義を使わずに批判するのは難しいことです。比較的古い「百合」のイメージ――たとえば男子禁制、女学生、女学校、月見草文化――に照らせば、男性キャラクターは不自然で排除されるべき存在になるかもしれません。一方で、同時に多くの社会人百合も捨て去られてしまうでしょう。女学校が舞台でもなければ、女学生が関係を構築するわけでもないからです。

このように「百合」の定義を厳しくすると、必ずあぶれる作品や世界が出てきてしまいます。それらは連帯への反発を招き、いつしか内部崩壊を招く原因になるでしょう。だから、より強い連帯を保つには「男性キャラクターが登場するのに百合を名乗る悪い作品」で壁を作って塗り固めるしかないのです。強引で有害な「男らしさ」への嫌悪感や怒り、個々人が持つミサンドリックなエピソード――それらが入り交じってより強固な壁、強い連帯を作り出します。

つまり「百合に男を挟むな」運動は、自然で合理的な定義というよりも、むしろ共通の敵を見つけて強く連帯するためのプロパガンダにすぎません。無意味で根拠のない権威を与える百合公認のような取り組みも、一見すると有害な概念ですが、これらと結合して連帯と排除を加速させる強い効果を持っています。

このようなプロパガンダを誠実に守っている作品かどうかを見分けるのは非常に簡単です。すなわち、男性は下品で、軽薄で、強引で、性欲で動く 顔のない 非人格的主体として描かれます。男性キャラクターを出したいシーンや世界観ではあるものの、しっかり描写すると裏切り者として炎上してしまうので、仕事を押し付ける嫌な上司や、ナンパしてくるチャラ男のように名もなき背景の一部として使うというわけです。

逆に、百合に男が挟まることをタブーとしていない作品は、それらの葛藤なく世界を描写できます。名前と人格のある男性キャラクターが女性キャラクター同士の関係に割り込むかもしれませんし、一度は結婚してしまうことさえあるでしょう。それどころか、バイセクシャルの女性キャラクターだってありえます。かれらはこのような自由に描かれた作品に火をつけて、「百合に男を挟むな」とか「これは百合ではない」と罵詈雑言を浴びせて城壁を厚く塗り固めるわけです。

そもそも、自分が注目していた人間関係に強引に割って入る異質なキャラクターや、自分の性別を偽って相手に近づく不誠実なキャラクターに嫌悪感を覚えるのは当然であり、わざわざ百合の定義や性別から導く必要のない単純な事実です。しかし、かれらはそれを「女を性欲処理道具かトロフィーにしか思っていない男」として悪魔化することで連帯を強めようとしています。

あれから3年以上経った今でも、私たちに百合の厳密な定義は不要です。どんなキャラクターが登場しようとも、 自分に誠実であるかぎり 百合を名乗ることができます。百合の定義論はいつでも連帯のためにあり、常に人々を分断しています。

「百合」とは: かつての「百合」は、無責任な拡張と恣意的な適用によって「女性同士の人間関係」というほとんど意味のないラベルに変質してしまいました。この歴史を踏まえ、現在ではより広く「既存の強力な異性愛規範を要求しない全ての人間関係(やその物語)」を指していると考えられています。
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