もし駅に冷蔵庫が置いてあったら、なんて幸せなことだろう。
電子レンジと、湯沸し器と、それにテレビが一緒にあったらもっといい。
それらを全部、24時間いつでも使えるようにしてほしい。
なぁ、良い提案だろう? みんなが使える耐久財が、みんなが使いやすい状態で置いてあるんだ。
そうしたら僕は、きっとこれからいろんなことができる。
この前買った安売りのコーヒーを一本入れておいて、ホームでテレビを観ながら紙コップに注いで飲むんだ。
パックのご飯を温めて、粉末味噌汁にお湯を注げば家に帰る必要もなくなる。
駅が便利な生活の基盤になる、こんなに幸せなことはないじゃないか。
管理者は駅の利用者から選ぼう。使う人が管理するのがきっと一番だから。
それから生活は大きく変わった。
売店も案内板も避難具も撤去され、辺りにたくさんのベンチが配置された。
寛ぐのにこんなの必要ないから、すごく合理的なことだ。
ここで生活したい人に必要なものを、必要なだけ。
資源を有効活用するため、電化製品もベンチも拾ってきたものだ。洗えばきっと新品と変わらないから大丈夫。
都合の悪いことを言ってくる人たちは、全部規則で縛って警察に連れて行ってもらった。
この平和を、自由を、壊させはしない。
ある日、冷蔵庫から僕の入れたお気に入りのコーヒーがなくなった。
冷蔵庫もレンジもすっかり汚くなって、水を入れっぱなしの湯沸し器には虫が湧いていた頃だ。
一週間に一度しか来なくなった管理者に、僕は訴えた。
あれは高かったんだ、弁償しろ、誰が責任を取ってくれるんだ。
そうしたら彼は、こう言った。
自己責任でやってくれ、弁償だの、犯人探しは管理者の仕事じゃない。
それに僕はもう、この駅で寛ぐのに飽きたんだ。
そもそも、寛ぎたければ自分の家に帰ればいいだろう。キミは自分の家が無いのか?
管理したければキミがやると良い。
ちょうどその場を駆け抜けようとしたゴキブリを踏みつけて、彼は帰っていった。
そう言われて僕は、彼の飲み物に毒を盛ってやることにした。
次の日、彼はあっけなく死んだ。
彼はいつもここに置いたグレープフルーツジュースを飲んでから会社に行っていたのを、僕は知っていた。
犯人は見つかるわけがなかった。
誰が入ってきて、誰が出て行ったかなんて、記録しているわけがない。
何と言うか、公共の場に放置したものを飲食するなど、拾い食いと大差ありませんね。
どの局のコメンテーターも呆れた口調で言っていた。
それからは、僕が駅の管理者になった。
春になって新しい冷蔵庫利用者が増え、この駅も大繁盛だ。
でも、僕の目には身勝手な利用者の姿が映る。
僕が昔からここを知っているんだから、規則はしっかり教えてあげなくちゃ。
少しの違反も見逃さず、大きな声で叱責した。
一人、また一人と叱っていたら、とうとう誰も来なくなった。
誰もこの理想には賛同してくれないのだ。僕は絶望した。
今年の訪問者たちは、平和、協調、自由、それを解らぬバカばかりだった。
誰も駅には来なくなったけど、僕は今日もここでアニメを観ながらビールを飲んで食事をしている。
気の合う仲間たちが、深夜に酒を持ってやってくる。
そうして泥棒よけに、今日もダミーの飲み物に毒を盛るのだ。
実に合理的で、素晴らしい、自由な世界になった。
今年の春、僕は転勤することになった。
あの寂れた駅のことなど、僕はもう知らない。
今は便利な電化製品が使えるというのを聞きつけたホームレスの寝床になっているらしいよ。
どこからか電話が来て、僕にそう言ってきた。
知りません、そんなのは今の管理者に言ってください、と笑って返してやった。
今の管理者の顔は知らないが、平和と自由を守るために頑張ってほしい。
確かに最初は僕が提案したことだけど、僕はもう使っていないのだから、関係ないよ。
永遠に無給で公共の場を管理するなんて、そんな地縛霊みたいなこと僕はやらないよ。
管理者は駅の利用者から選ぼう。使う人が管理するのがきっと一番だから。
普段は鍵の向こうに、警備員の向こうにあるはずのおもちゃが、目の前にある。
みんなに使ってほしい、いつでも使ってほしいとラベルが付けられて、無防備にも晒されている。
こんなに面白いことはない。こんなに便利なことはない。
ねぇ、だから世界中に冷蔵庫を置こう?
そうして色んな人が毒を盛って、たくさんの人が死んで、でも犯人は見つからない。
冷蔵庫を薬品を入れた瓶で一杯にして、酔っぱらいを騙してしまおう。
電子レンジで生卵を加熱して逃げるのもきっと面白いよ。
湯沸し器でボウフラを飼って、たくさんの蚊を放ってしまおう。
全然知らないところの冷蔵庫に行って、大量のエロ雑誌を詰めて帰ってくるのも楽しそうだ。
こんな便利な世界はないよ。
なぁ、良い提案だろう?